六年間、誰にも泣き顔を見せたことがない。
公爵令嬢イレーネは、婚約者の王太子に放置されながらも、外交文書の起草から財務改革まで一人でこなし続けた。
社交界が彼女につけた名は、鉄の令嬢。
褒め言葉のはずだった。
けれどその鉄は、とっくに錆びていた。
婚約解消を申し出た日、王太子は笑った。
困るのは君だろう、と。
イレーネは微笑んで、六年分の出席記録を添えた書類を差し出した。
向かった先は、病弱な幼馴染が暮らす辺境の伯爵領。
十四年間、毎月手紙を交わし続けた相手。
彼はただ一言、おかえり、と言った。
ユリウスは何も聞かなかった。
なぜ来たのかも、殿下とどうなったのかも。
温かい薬草茶を淹れて、飲め、とだけ言った。
彼は知っていた。
手紙の筆跡が二年前から変わっていたことを。
イレーネが限界だったことを。
何もできない代わりに、部屋を空けて待っていたのだと。
王都では、イレーネの不在で全てが狂い始める。
王太子は初めて、失ったものの大きさに気づく。
強いから大丈夫だと言われ続けた令嬢は、もう強くなくていいと言ってくれた場所で、何を選ぶのか。
もう遅いですわ、殿下。私はとっくに壊れておりましたのに
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