フォルスター伯爵令嬢エレナには、五年間連れ添った婚約者がいる。
アーヴィング侯爵家の嫡男レオナルト。
真面目で優秀で、エレナとの結婚も当然のように考えていた男だった。
そんな彼から、ある朝突然頼まれる。
「しばらく、人前では俺の婚約者ではないふりをしてほしい」
レオナルトに好意を寄せる第二王女が、エレナを見るたびに機嫌を損ねるからだという。
婚約をやめるわけではない。
ほんの少しの間だけ。
そして彼は、いつものように言った。
「君なら分かってくれると思った」
その言葉を聞いて、エレナはふと思い出す。
楽しみにしていた旅行がなくなったときも。
結婚式が延期になったときも。
夜会で一人帰ることになったときも。
事情はいつも違った。
けれど、最後に予定を変えるのはいつもエレナだった。
「分かりました」
そう答えると、レオナルトはほっとしたように笑った。
だからエレナは、その続きを口にした。
「では、婚約を解消しましょう」
婚約者を愛していなかったわけではない。
だからこそ、エレナは五年間ずっと譲ってきた。
けれど一度立ち止まってみると、今まで見えていなかったものが少しずつ見え始めて――。


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